【ヨハネスブルク(南アフリカ)野村和史、ジョージ(同)江連能弘】サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で15日、44年ぶりに出場した北朝鮮代表として、日本で生まれ育った2人のJリーガーがピッチに立った。川崎フロンターレのFW鄭大世(チョンテセ)選手(26)と、大宮アルディージャのMF安英学(アンヨンハク)選手(31)。強豪ブラジルに1−2で敗れはしたが、夢の舞台で懸命のプレーを見せた。
ヨハネスブルクのエリスパーク競技場。試合開始前に国歌が演奏されると、鄭大世選手は人目もはばからず、涙を流した。
名古屋市で生まれ、07年に北朝鮮代表に選ばれたが、そこに至る道は平たんではなかった。朝鮮籍の母の希望で、小学生から朝鮮学校で学んだ鄭大世選手にとって「母国を北朝鮮に設定するのは自分の中では当たり前だった」。だが自身は父親と同じ韓国籍。「北朝鮮代表には100%なれない」と言われたこともあるが、北朝鮮関係者の配慮で北朝鮮のパスポートを取得し、韓国籍のまま代表入りが認められた。その時のことを「目の前の大きな扉がゆっくりと開いた」と振り返る。
点取り屋の鄭大世選手にとって、極端に守備的な北朝鮮代表の戦い方が当初は苦痛だった。チームメートに「どうやって点を取りゃいいんだ」と不満をぶちまけたこともある。その時、たしなめたのは母親だった。「周りの協力があって成し得た立場を一人のわがままで放棄してはいけない」と。チームプレーに徹しようと決めた。
迎えたこの日。防戦一方の中でも最後まで体を張った。終了間際には味方のロングボールに必死で体を伸ばしてヘディングでラストパスを送り、一矢報いるゴールにつなげた。
岡山県倉敷市生まれで朝鮮籍の安英学選手は、02年から代表に名を連ねる。北朝鮮は98、02年大会の予選に参加せず「代表になるという目標を持ちにくい時期もあった」が、06年大会ではアジア予選に出場。そして4年後にたどり着いた「世界の方たちが見てくれる」舞台。MFとしてチームを支え続けた。
優勝候補の壁は厚かった。だが、鄭大世選手は「世界一のレベルを体感したことで、また自分の成長につながると思う」と前向きにとらえた。
◇「私たちの英雄」母国から応援団
【ヨハネスブルク高尾具成】ヨハネスブルクであったブラジル−北朝鮮戦のスタンドには北朝鮮からの応援団約50人が陣取った。試合開始前には朝鮮半島の民謡アリランを合唱。伝統的打楽器を打ち鳴らし、強豪ブラジルの攻撃に体を張ってプレーする代表選手への応援を続けた。
平壌から応援に来たハン・ソンヒさん(22)は、FW鄭大世選手らに期待していると話し、「代表選手は私たちの英雄。北朝鮮代表がW杯の舞台に立てたことを誇りに思うし、特別な日」と語った。また、応援団の40代男性は「44年前と同様の活躍を期待している。もちろん優勝を目指して戦ってくれるはず」と国旗を翻した。会場には在日コリアンや韓国の応援団も駆け付け、深紅のユニホームで健闘をみせる選手たちに声援を送っていた。
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